ウルトラエクセレンス第六感コンピューター

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諸行無常

iPhoneに入れているお気に入りの曲の、いつも耳にしているはずのワンフレーズに、はっと心動かされて涙がこぼれ落ちる瞬間。
それはきっと、日常で蓄積された寂しさや心細さが埋まった瞬間でもあるのかもしれない。

Nona Reevesの『New Soul』という曲がとてもとても大好きで、
今日、南北線日吉行きの電車に揺られて聴いていたら、急にぶわああっと涙が溢れて、人目も憚らず泣いてしまった。


なんて、なんて素晴らしい歌なんだろう。
何度も聴いている、いや何千回も聴いている。
なのに、初めて耳にした日のように、感動してしまった。

近頃、私は人知れずイライラしていることがあった。

ここのところ、男とか女とかビジネスマンとか主婦とかアラサーとか、性別や職別で何もかも語られすぎだ。
中カテゴリー(例:男女)を小カテゴリー(例:アラサー女子)に分類して、さらにそれを果てしなくミクロな視点で人物考察する本や記事が果てしなく多い。

正直、昨年あたりから、男とか女とかめちゃくちゃどうでもいいと思っている。
ていうか、男とか女とか以前に、みんな人間だ。
みんな個性的で、みんな違う。
だけど、みんな人間だから、ある意味同じ。
世代や性別や職業を越して、誰のことも愛おしいと本気で思っている。
アラサーがなんだ。主婦がなんだ。一括りにすんな。
立場がなんだ。立ち位置がどうした。カテゴライズされて、カテゴライズされたまんまでいてたまるか。
そのままでいいし、そのままでいたって揺れ動くし、誰とも違う私が常に存在しているんだ。

人間そのものへの深い関心が感じられるテキストの圧倒的少なさよ。
大仰で高尚な言葉でなくていい。
We are the worldと歌うことを許されるのは、グラミー賞クラスの歌手だけだ。
ただ、男や女の垣根を超えた、マクロな視点で語られた言葉が聞きたいんだ。

『New Soul』は、まさに人そのものへの敬意と人生の儚さや面白さを詰め込み、悲しみにも希望の光を刺してくれる、神々しい名曲だと思う。
何度も涙しているのに、いつも違う理由で涙する。
またそんな偶然に出会いたくて、私は何度もこの曲を聴いてしまうんだろう。